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MORIYASU JAPAN

Text by Akihiko Kawabata

「A代表」&「五輪代表」の違いと
東京五輪へ“兼任監督”を置く意味

サッカー日本代表(A代表)の新監督に森保一(もりやす・はじめ)氏が就任した。2年後に行われる東京五輪代表との“兼任監督”という点が話題になっているが、そもそも、サッカーにおける「A代表」と「五輪代表」との違いとは何か。さらにそこから、東京五輪に向けて“兼任監督”を置いた意味についても考察する。

早くから「プロ」が誕生していたサッカーの文脈

元よりFIFA(国際サッカー連盟)が主催するサッカーのワールドカップと、IOC(国際オリンピック委員会)が仕切る五輪は、まったく異なるロジックの大会として運用されてきた歴史がある。

早くから「プロフェッショナル」が誕生したサッカーの文脈と異なり、五輪は長く「アマチュアの祭典」として運用され、それを尊んできた歴史があった。このため、サッカーも「オリンピック競技に出られるのはアマチュア選手」に限定されてきた時代が長く、トップレベルの選手が出るのは社会主義を標榜し、プロ選手がいない東欧諸国などに限定されてきた。

1952年から1980年にかけて、金メダルがハンガリーやポーランドといった東欧諸国に独占されているのは、まさにこの理由による(ちなみに、これらの国々がワールドカップを制覇することは一度もなかった)。日本サッカーの歴史を語るときによく出てくる「1968年メキシコ五輪の銅メダル」も、こうした文脈の中にあるものだ。

この流れが一変したのが1984年ロサンゼルス五輪に前後したプロ解禁の流れである。興行重視へ大転換を図っていたIOCとしては、人気競技のサッカーのスター選手をそろえたかったわけだが、FIFAはワールドカップの特別な価値を守りたかった。このため、「ワールドカップ本大会および予選に出ていない欧州と南米の選手」であれば、プロであろうと出場可能という妥協案に落ち着くこととなった(アジアは、普通にA代表選手が予選から出場している)。

スター選手が欲しいIOCの願いから…

この曖昧模糊とした方式は1988年のソウル五輪まで継続されたが、1992年のバルセロナ五輪からは「U-23」(五輪本大会時点で23歳以下の選手のみ出場可能)の大会として再編されることとなった。「U-17」「U-20」に続く第3の年代別世界大会という位置付けで、それまでアマチュア文化に基づいてワールドカップより五輪を重視し続けてきた日本にとっても、大きな転換点となる変革だった。より公式的に五輪がワールドカップの下部に位置する大会として位置付けられたからだ。1993年のJリーグ誕生から同年の「ドーハの悲劇」に続く流れは、こうした世界的な流れとも無縁ではない。

ただ、年代別の世界大会では注目度が低い。ビッグスターが出場してほしいというのが稼げる五輪を目指すようになったIOCの願いである。このため、1996年のアトランタ五輪から、当時マイナースポーツだった女子サッカーの正式競技採用とのバーターだったと言われる特殊なルールが導入される。「オーバーエイジ枠」である。

これは「U-23」という枠組にとらわれることなく、自由に選手を選べるというもの。IOCの狙いどおり、アトランタ五輪にはオーバーエイジ選手として当時のスターや、A代表は退いたもののまだ第一線ではプレーしているようなネームバリューのある選手が出場することとなった。そして現行ルール下の五輪において、このオーバーエイジ選手をどう扱えるかが大会の勝敗を分けるポイントとなったことは言うまでもない。

ここまで説明すれば、サッカー界における「A代表」と「五輪代表」がまるで別モノであること、そして地元開催の東京五輪に向けて“兼任監督”を置く意味も見えてくるのではないかと思う。

東京五輪でのメダル奪取は、現実的な目標

1996年の特殊ルール導入以降、五輪は完全に「オーバーエイジを制する者は五輪を制す」という大会になっている。これはそもそも選手を呼べるかどうかという部分も含めての問題だ。2016年のリオ五輪において、日本はオーバーエイジ枠としてトップ選手をまるで招集できずに惨敗した経緯もある。

招集が難しくなる理由の一つは、大会が欧州のサッカーシーンの開幕時期とバッティングしてしまうことである。選手にとっても五輪に出るメリットは小さい。しかも「日本代表」監督の立場になってみると、そこで負傷でもされようものならたまったものではない。何しろ一番大事なワールドカップの予選がちょうど五輪後のタイミングから本格化するスケジュールだからだ。なので、歴代の「日本代表」監督は五輪への選手派遣に抵抗したり、消極的な姿勢を見せてきた。「U-23」世代で「日本代表」に選ばれている選手についてもそれは同様だ。選手からしても、「一番大事なワールドカップ」を指揮する監督が嫌がっている大会へ積極的に出たがることはない。

唯一の例外は2000年のシドニー五輪だ。このときの指揮官は「日本代表」と「五輪代表」が同じフィリップ・トルシエ監督の指揮下にあった。このため、オーバーエイジを含めて選手は選び放題。まさに最強メンバーをそろえることができた。東京五輪は絶対に結果を出さなければならない大会であり、各国がベスト布陣をそろえられない五輪でのメダル奪取は夢物語では全くなく、極めて現実的な目標である。これが大きな理由となって、「兼任監督」という判断になった。

世界的に見ても、「兼任監督」自体は特段に珍しい例ではない。ベテラン中心で先のワールドカップに臨んだ日本にとっては、世代交代(森保監督の言葉を借りれば、「世代融合」)を図っていくためにも、同一監督の下で同一コンセプトで活動しておくメリットは大きい。もちろん、監督自身が極端な過密日程下に置かれてしまう、「五輪代表」の結果によって「日本代表」監督の進退が問われかねない(あるいはその逆)といった懸念もあるのだが、地元開催の五輪という点を加味すれば、総合的にメリットのほうが大きいというのが日本サッカー協会の下した判断と言えるだろう。

この判断が吉凶いずれに出るかは、2020年の東京五輪、そしてさらに2年後のカタールワールドカップはもちろん、そのさらに4年後の2026年のワールドカップの成果にて、改めて問われることになる。

川端暁彦(かわばた・あきひこ)

2013年までサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』にて主に編集業と記者を務める。現在はフリーランスとして活動中で、『エル・ゴラッソ』や『スポーツナビ』『サッカーキング』『サッカーダイジェスト』『Footballista』『サッカーマガジン』『ゲキサカ』など各種媒体に寄稿する。著書に『Jの新人』(東邦出版)ほか。

 

橋本 啓(はしもと・あきら)

エディター/ライター。前職では「サッカーダイジェスト」編集部/(株)日本スポーツ企画出版社に5年半勤務し、(株)エクスライトに入社。現在はSNSやオウンドメディア運用などを中心に編集/ライティングに携わる。

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