ゲームのレビューを生業にしている筆者からすると、多くの新作アプリの中から稀に「これは!」と思う名作に出合うことがある。ゲームデザインの革新性だったり、クリエイターの美意識の体現化だったりと、ゲームを名作たらしめる要素は作品ごとにさまざまだが、必ず“ゲーマーの心を動かす意志”が込められていると言えよう。そのような名作の一つとして、ここではスマホアプリ『テラバトル』を取り上げたい。希代のクリエイター坂口博信氏による傑作のなかにある、“遊びの哲学”について考えてみることにしよう。
「ミストウォーカー(MISTWALKER)」とは、「スクウェア・エニックス(旧スクウェア)」の『ファイナルファンタジー』を手がけた坂口博信氏や植松伸夫氏など、日本を代表するゲームクリエイターやアーティストによって設立されたゲームスタジオである。同社が発売したアプリ『テラバトル(TERRA BATTLE)』は、App StoreおよびGoogle Playでの正式配信から1年足らずで、230万ダウンロードを達成した。
その『テラバトル』のユニークな特徴の一つとして挙げられるのが、「ダウンロードスターター」というプロジェクトを立ち上げたことである。これは、アプリのダウンロード数に応じて、著名クリエイターによる新規コンテンツの追加や、植松氏による『テラバトル』のコンサート開催、関連グッズの制作など、さまざまな公約を達成することができる仕組みとなっている。こうした試みはゲーム業界において、今まで主に「Kickstarter(キックスターター)」などのクラウドファンディングで行われてきた。
それに対して「ダウンロードスターター」がエポックメイキングなのは、アプリのリリース後にプレイヤーがゲームを楽しみながら現在進行形で参加できるところにある。クリエイターもユーザーも「ダウンロードスターター」を通して、『テラバトル』という作品の成長を一緒に感じることができるのだ。『テラバトル』の「ダウンロードスターター」では、すでに皆葉英夫氏や松野泰己氏、天野喜孝氏、伊藤賢治氏など、そうそうたるクリエイターやアーティストたちの参加が決定しているが、「ミストウォーカー」以外の作品で今後、これだけのメンバーを集めることはほぼ不可能だろう。
『テラバトル』という作品自体に目を向けると、この名作の本質は、国産ファンタジーRPGとしての文脈にこそあると思う。『ファイナルファンタジー』シリーズで採用された「ジョブ」や「召喚獣」などのゲームシステムは、後のRPG作品にも大きな影響を与えたが、坂口氏の構築するゲームシステムにはいつも、どこかシステマティックな面白さがある。本作のバトルで碁盤の目状のマップを見つめながらキャラクターやスキルの組み合わせを考える作業は、囲碁や将棋のように楽しめ、その直感的な思考の流れが何とも心地いい。しかもそこにファンタジーRPGの文法がうまく機能しているあたりは、まさに坂口氏の作品の真骨頂だろう。そこにあるのは、「ミストウォーカー」によるRPGという“遊び”の追求にほかならない。
日進月歩のゲーム業界において、ユーザーが求める遊びの要素は目まぐるしく変化する。近年は、主流のハードウェアがコンソールゲームからスマートフォンに、ソフトウェアにおいてはパッケージタイトルから基本無料(F2P)のダウンロードタイトルに、というパラダイムシフトが起き、プレイヤー同士のソーシャル要素も欠かせないものになった。その一方で、映画や小説のようにクリエイターの作家性が発揮される作品は減ったようにも感じる。だからこそ、『テラバトル』がもつ幻想的で心揺さぶられるストーリー、そして前述のゲームシステムなど、その一貫した坂口節に僕らのようなゲーマーの心は動かされるのだ。
『テラバトル』は、かつての『ファイナルファンタジー』のようにクリエイターの美意識が細部まで行きわたった、ひとつの芸術作品だと言えよう。これまで肥大化の一途をたどっていたコンソールゲームタイトルから、比較的小規模で開発できるスマートフォンゲームに移行したことが、この作品にポジティブな影響を与えている。同社の公式サイトによると、「ミストウォーカー」という社名には、もの作りや組織作りの「霧の中を手探りで進む」という意味が込められており、そんな歩みの中で見上げる星空や、その光もコンセプトになっているという。そういえば、『ファイナルファンタジー』のテーマも光と闇、そしてクリスタルだった。この『テラバトル』も、そんな「霧の中を手探りで進む」ことで生まれた作品だ。
大きな潮流のなかでクリエイターに求められる資質も変化するなか、TVゲームという“遊び”の本質を知り尽くした彼らによる作品群は、まるで一筋の光のように一つの方向を照らしている。「ミストウォーカー」にとって『テラバトル』が一つのマイルストーンになることは間違いないが、霧の中を進んだその光の先には、まだ僕らゲーマーが体験したことのない“遊び”が待っているかもしれないと、期待してしまうのだ。